辻内鋳物鉄工株式会社
従業員数 29人
加工方法CNC旋盤加工フライス加工歯切り加工
設備基板加工設備乾燥機NC旋盤
対応可能な材料鉄鋼材料
辻内鋳物鉄工株式会社の概要
同社は、鋳物造りの伝統を受け継ぎ、機械加工、電機、電子分野へと事業を拡大しています。各種工作機械向けの産業用モーター巻線やプリント基板実装組立を手がけています。また、伝統的な鋳造製品の製造も行っています。工業用ミシン駆動装置の完成品まで一貫生産に対応しています。
辻内鋳物鉄工株式会社の事業内容
鋳物造り、機械加工、電機製品製造、電子製品製造、産業用モーター巻線製造、プリント基板実装組立
辻内鋳物鉄工株式会社の設備情報
| 設備 | メーカー | 特徴・能力 | 保有台数 |
|---|---|---|---|
| エアリフロー半田槽 | TAMURA | - | 1台 |
| 乾燥炉 | - | - | 1台 |
| 共晶フロー半田槽 | 東京生産技研(セイテック) | - | 1台 |
| ポストソルダー | TECNO | - | 1台 |
| NC旋盤 | - | - | 1台 |
| 普通旋盤 | - | - | 1台 |
| 半田鏝 | HAKKO | - | 1台 |
| 鉛フリーフロー半田槽 | TAMURA | - | 1台 |
| 単能旋盤 | - | - | 1台 |
| 自動巻き線ライン | - | - | 4台 |
| 制御盤組立ライン | - | - | 1台 |
| ワニスタンク処理設備 | - | - | 1台 |
| クリーム半田印刷機 | 日立 | - | 1台 |
| ラジアルボール盤 | - | - | 2台 |
| タッピングセンター | - | - | 3台 |
| レーザーインスペクター | 名古屋電機工業(株) | - | 1台 |
| ボール盤 | - | - | 23台 |
| プリント基板製造ライン | - | - | 1台 |
| 接着剤塗布機 | PANASERT | - | 1台 |
| マシニングセンター | - | - | 1台 |
| NC旋盤 | - | - | 2台 |
| 作業台 | - | - | 1台 |
| 多機能実装機 | PANASERT | - | 1台 |
| 電動機組立ライン | - | - | 2台 |
| 普通旋盤 | - | - | 1台 |
| ポストソルダー | TECNO | - | 1台 |
| チップマウンタ | PANASERT | - | 1台 |
| フライス盤 | - | - | 2台 |
辻内鋳物鉄工株式会社の詳細情報
- 従業員数
- 29名
- 郵便番号
- 〒511-0426
- 住所
- 三重県いなべ市北勢町其原2077-1
- 電話番号
- 0594-72-3231
- 公式サイト
- https://www.tsujiuchi-eng.com/
辻内鋳物鉄工株式会社の沿革
| 1602年 | 時の城主 本多忠勝公より木造の鳥居が春日神社に寄進されましたが51年後の承応2年6月5日に大風で倒壊しました。 |
|---|---|
| 1627年 | 辻内善右衛門 (光譽壽昌居士)寛永4年亥年2月5日卒 |
| 1635年 | 桑名藩主として着任した 松平定綱は 幅広く人材を求めました。 そんな中 近江の工匠辻内を招聘、辻内の能力を察した定綱は辻内に刑部左衛門と称させました。 |
| 1649年 | 江戸大地震により定綱をはじめ諸侯の江戸屋敷が被害にあいましたが、辻内刑部左衛門は迅速に定綱の屋敷を修復したことにより「古今の能工なり」と呼ばれました。諸侯にも請われ 被害を受けた諸侯の屋敷の修復、再建に尽力し、日を置かずして成しました。 |
| 1666年 | 天智天皇5年聖徳太子の遺願により藤原鎌足が創建 |
| 1667年 | 藩主松平定重侯が日本随一の青銅鳥居の創建を企画し、神社修理料の積立金を基本に(慶長金250両)鋳物師 辻内善右衛門尉藤原種次に命じました。種次はこの大事業に精根を注ぎ、家産を傾けて見事に成就せしめたのがこの鳥居です。寛文7年完成しました。 |
| 1668年 | 辻内善右衛門作の梵鐘 櫻岡山西勝寺 三重県四日市市智積 |
| 1673年 | 延宝年中 奥平貞登が観音堂を建立、奥平の一族は、桑名藩5代藩主・ 松平定綱 の家老職を務めました。 |
| 一連の工事は延宝元年(1673年)に完了され干拓後、三人は元締め役として翌年から新田の販売と管理を遂行いたしました。 | |
| 1677年 | 八幡宮 椿神社 千葉県旭市高生 椿新田元締め辻内善右衛門が建立を願い出て建立された「椿湖三社」の1つ 御祭神として祀られているのは、「品陀別命」応神天皇 現在の宮地に遷せられる。 |
| 1678年 | 干拓終了後18ヶ村のために寺社建立を幕府に申請し延宝6年(1678年)三社、五ケ寺の建立が許可されました。 |
| 1683年 | 辻内善右衛門作の梵鐘 長嶋山安養寺 三重県鈴鹿市箕田 |
| 1685年 | 辻内刑部左衛門(澤浄休居士)貞享2年子の年6月14日卒 |
| 貞享二年(一六八五)稲垣弥三兵衛久寛(やそべえきゅうかん)がこの探月坊を譲り受け、稲垣山浄念寺を創立し、京都から僧元貞を迎えて菩提寺とした。 | |
| 1686年 | 初代 辻内善右衛門作の梵鐘 三重県いなべ市北勢 町浄土真宗鎮西派 京都知恩院末寺 冶田銀銅山から産出した銅をもとに辻内善右衛門により製造 |
| 1706年 | 三代 辻内善四郎作の梵鐘 敬善寺 三重県いなべ市藤原 |
| 1724年 | 三代 辻内善四郎作の梵鐘 稲垣山浄念寺 三重県いなべ市北勢町阿下喜 |
| 1736年 | 享保21(元文元)年、大福田寺の住職・實圓がここを隠居寺としてから大福田寺の庵室となり、江戸末期からは尼僧によって住持されていました。 |
| 1738年 | 四代辻内善九郎 作 正念寺 三重県桑名市今一色 |
| 四代辻内善九郎作 歸帆山䑳宗寺 三重県桑名市寺町 | |
| 1740年 | 四代 辻内善九郎作の喚鐘 三重県桑名市多度町大鳥居 |
| 1741年 | 四代辻内善九郎作 柳山法盛寺 三重県桑名市萱町 |
| 1743年 | 四代 辻内善九郎作の喚鐘 昭和五十五年頃には 存在したと思われます。 三重県員弁郡東員町北大社 浄土真宗本願寺派 |
| 1747年 | 四代辻内善九郎作 神野山浄土寺 三重県桑名市清水町 |
| 1748年 | 寛永元年(1748年)に四代辻内善四郎により再建 |
| 1842年 | 七代 辻内善四郎作の擬宝珠 三重県桑名市多度町下野代 真言宗東寺派 |
| 1850年 | 三代辻内善四郎作の 大 砲 今一色町の御用控え記載 |
| 1868年 | 三代辻内善四郎作の梵鐘 寛亀山信行寺 三重県津市白塚町 |
| 1892年 | 十代 辻内甚太郎作の喚鐘 |
| 1899年 | 初代 辻内善平作の擬宝珠 |
| 辻内善四郎 辻内善太郎により修復 | |
| 初代 辻内善平作の喚鐘 | |
| 1901年 | 十代 辻内甚太郎作の喚鐘 |
| 1907年 | 二代 辻内善平作の観音像 |
| 1908年 | 辻内周平作の喚鐘 |
| 1909年 | 二代辻内善平作の梵鐘 |
| 1910年 | 二代 辻内善平作の観音像 日露戦争の戦病死者を弔うため 長島の有力者が建立 |
| 1912年 | 二代 辻内善平作の喚鐘 |
| 二代 辻内善平作の蝋燭台 | |
| 1913年 | 二代辻内善平建之、鋳工辻内善平、門人5名合作の墓碑 辻内家代々の墓 青銅円筒型、台蓮弁、精巧雅致に富む。 |
| 二代辻内善平作、「唯我独尊」とは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」との意味であり、天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、このいのちのままに尊いことの発見である。 | |
| 1915年 | 二代 辻内善平作の擬宝珠 |
| 1925年 | 辻内 善 平 泉福寺 桑名市泉 |
| 1930年 | 初代 辻内善右衛門作の喚鐘 |
| 1932年 | 辻内鋳造所作の喚鐘 三重県桑名市福島 浄土真宗大谷派 |
| 1947年 | 辻内善平作の梵鐘 岐阜県郡上市明宝気良 浄土真宗本願寺派 |
| 1948年 | 辻内善平作の梵鐘 三重県いなべ市藤原町 臨済宗 |
| 1960年 | 辻内善平 辻内恒夫により 修復 |